別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

「それ」の話

「それ」とか「 」とか、もっと具体的に説明して!って言いたくなるんですけど、結局そうとしか表現出来ないのかなと思います。

 

判断、分析というのがそもそも自我の働きなんですけど、「それ」があるときには、自我が不在か、完全に停止している状態にあるのだと思われます。

 

私は「それ」を「空白」だと認識しているのですが、睡眠と似ているのではないかと思いました。

自分が何故寝ていたと分かるのかというと、時計の進み具合とか、空が白んできたとか、或いは誰かに指摘されたとか、外部環境から自我が判断しているんですよね。寝ている間中、意識があるわけじゃありません。

 

「それ」の時も同じで、自我は寝てしまっているので、「それ」を直接認識する事が出来ません。しかし、のこのこ後からやって来ては、今のはあーだこーだと勝手に分析しだす。

認識するための自我はないけど、意識はある、というのが睡眠との違いでしょうか。

 

そして、これは妄想ですが、のこのこ自我が舞い戻って来ない場合を大悟と言うのかもしれません。まあ、妄想です。

 

 

「それ」については、覚者の個性によって説明の仕方も様々ですよね。光だとか神だとか或いは空、はたまた無だとか。でもこれらの言葉って手垢にまみれているというか、聞いた人の観念によって捻じ曲げられる危険性が、

というか既に皆好き勝手に解釈してますよね。妄想が暴走、なんつって。

 

結局のところ、なるべく誠実に「それ」を表現しようとすると、「それ」という説明になってしまうのでしょうかね。

 

なんともスッキリしない話ですが(笑