別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

高速ヴィパッサナー瞑想のススメ

テーラワーダ協会に参加してヴィパッサナー瞑想を学んだ人も多いと思います。私も一度参加しましたが、とてもスローな動きで歩く瞑想をすると思うんですけど、それっていつまでもスローなままじゃ駄目じゃないかな?と思います。

 

 習い事とかそうですけど、最初は先生の真似をゆっくり確認しながら練習していって、段々とスピードを上げて行きますよね。瞑想も同じだと思います。

 

ヴィパッサナー瞑想していくと、だんだんと集中力がついてきます。そして集中力が上がるごとに動作を速くしていき、日常生活に落とし込む。そうしないといつまでたっても「今」は見られないんじゃないでしょうか。

見るのはどうしても過去の事になります。今!って言っている瞬間に通り過ぎてしまいます。 

それが究極に集中力が高まって現在と重なった時、壁を突破することが出来るのではないかと推測します。

イメージはマッハで飛ぶ戦闘機が音の壁を破る感じでしょうか。音の壁は自我、戦闘機の速度が集中力。思考の変化は音速とは比べ物にならないくらい速いですけど。

 

ちなみに、私はせっかちな性格なので、ゆっくりやるということがそもそも出来ませんでした。最初から日常動作を対象に瞑想していました。教えられたとおりにやらないと言うのは本当は駄目な事かも知れませんけどね。

でもやっぱり、日常動作に瞑想を入れようとすると集中力がないと出来ないんですよね。だから逆に必死に集中しようとして、集中力がついていったのかもしれません。

 

いずれにしても、結構忍耐が必要なんです。お釈迦様が不放逸でと言ったのも、人間はすぐ自分には出来ないんだとか妄想してしまうから、そういう事にとらわれずに、逆にそういう妄想も瞑想の対象として、とにかくやりなさいってことなんだと思います。