別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

こころとからだ

体験談を投稿して最後にしようと思ってましたが、ちょっと感じた事があったので書いておきます。

 

ことの発端は会社での些細なことですが、経緯は下の方にでも書いておきます。しょうもないのでどーしても暇な人はどうぞ。

 

結果から言うと、私は久々に怒りました。そして泣きました。しかし私のこころは非常に穏やかだったと言うことです。

これは体験の後にも感じた事と同じですが、改めて考えてみようと思います。

 

湖面と湖底の例えを見た事があるかもしれませんが、まさにその通りなのです。表面は波立っているけれど底では波もなくとても静かです。

からだは湖面。ブルブル震えるし、涙は出るし、怒りで呼吸は荒くなっていますが、こころには波一つ立っていません。湖底は穏やかなままです。

 

泣いているから悲しいのだし、震えているのは不安だからだし、そう言う事は理解できます。苦痛を感じているのは確かです。でもそれは体が感じている事で、こころが感じている事ではありません。

 

まあこれをこころと言ってしまうのは若干違和感があるのですが、取り敢えずこころと表現しておきます。

 

よく感情とこころは同じもののように思われていますが、そうではなく、感情は体に付随するものだと感じました。

体の反応というのは、生まれてからの躾や教育、経験などからプログラムされたものに過ぎないのだと言う事です。そして感情も同じ。私たちはこのプログラムを性格と呼んでいます。

 

仏教界隈では性格のいい人間になる事を勧める傾向にありますが、それはどうかな〜という感じもします。

なくて七癖というぐらい誰にだって癖というものはありますが、それを矯正するのはとても大変だと思います。肉体的な事でさえ大変なのに、性格を変えるのはもっと大変でしょう。

勿論良い性格は俗世を生きるのにとても重要です。でも、実際問題簡単に性格を変える事が出来るのなら、誰も悩んだりしないでしょうね。

 

感情のままに行動することは沢山の問題を起こしますから、よくよく気をつける必要はあります。

しかし殊更感情を抑えたりする教えにもちょっと疑問を感じます。

特に内省的な傾向のある人には抑圧した事で感情がこじれた方が害が大きいように思います。

 

怒らないこと。という教えを実践し守った上で怒ってみると見えてくるものがあるかもしれません。(その事で生じた結果には責任を取らないといけませんが^_^;)

 

世間では明るく元気な性格の人の方が多いから、それが良しとされているのですね。仏教でもサンガなど集団で生活する以上、多数に合わせる必要がある、という程度のことだと私は思います。まあ、それが重要なんでしょうが。

 

暗くて活動的でないからと言って、悟れないってことはありませんから、悲観する必要はありません。お釈迦様だって明るく楽天的な性格なら突然出家したりしないでしょう?今で言うメンヘラですよメンヘラ(お釈迦様ならびに仏教関係者の皆様ごめんなさい)

 

しかし、暗くて内省的な性格では、世俗ではハードモードになることは間違いありませんから、まあ出来るところは改善した方がいいでしょうね。

 

とか言って、自分は出来ないんですけどね〜

ハードモードどころかマストダイですわ〜

0〜 _(:3」z)_  

 

 

まあ幸も不幸も色々あるけど、いつかの自分がやった事が帰ってきてるだけだから、報いを受けるに相応しいのだと観念して、仏道に邁進しましょうね。

 

 

 

 

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以下、どうでもいい発端です。馬鹿な私をお笑い下さい。

 

 

まあ、今まで色々と不満が積み重なってはいたのですが、私の所属部署が新年明けてから突然アロマを焚き始めました(この部署だけ部屋が違います)

私には一言も断りはありませんでした。社員には了解を取ったと言っていますが、どうやら私のドッペルゲンガーがいる模様 ^_^;

もともと私は五感が過敏な質で、他の人が気づかないような感覚でもわかってしまう事があります。(最近ではHSPと言うのだそうです)

だからアロマなどの匂いのキツイものは死ぬほど苦痛でしかありません。

しかし、他の人は楽しんでいるようだからと様子見していましたが、まるで芳香剤に放り込まれたようで私には地獄でした。

匂い自体も嫌いでしたが、限度を超えた使い方をしていることもあり、総務部を通してアロマの使用をやめてもらうように申し立てました。

しかし、やめるつもりは毛頭ないようでしたから、私は寒空の下、窓を開ける事で対処しようとしました。まあ、当てつけではあったのですが。ここで私の性格の悪さが露呈していますね^_^;

 

人の苦痛はどうでもいいけど自分の苦痛は我慢ならないようで、めでたく上役二人に囲まれることとなりました。当然の結果ですね。

で、私もあることあること言ってやったぜ〜と言いたいところですが、口で言えるならこんな事になってないんですよね〜

言いたいことは沢山あるのに1/3〜も伝わらな〜い♪ (実際には1/100も言えませんでした)

で、一寸の虫にも五分の魂と言うように、どんなにしようもない人間にも、それを言っちゃあおしめぇよって事があります。まあ、私は言われた側ですが。

聞いた瞬間ビビビッと脳みそが反応したわけです。そして冒頭の話へ繋がるわけですな。

 

まあ私にも過去にいらぬ一言で傷つけた人達がいたのでしょうね。まさに報いを受けるに相応しいのです。そうなると今度は私に暴言を吐いた人が報いを受けるのですが、可哀想ですけど仕方ありませんね。

 

と、ここまでが今回の出来事です。

以下はどこにも吐き出せないのでここに書いておきます。いわゆる自分語りという世間で最も忌み嫌われる類の話です。

心を掻き乱したい人だけどーぞ

 

 

しかし今回の事で相手の本音が出たわけですが、お前のこと舐め腐って見下してるけど、お前は俺を敬えよ、って無茶苦茶ですがな。でもこれスタンダードなんですよね。

しかも世間では裏でどう思っていようと、表では調子を合わせて上手いことやって行くことが社会人の条件なんです。私は社会人失格です。消えて無くなりたい _(┐「ε:)_

 

私はなんとなく相手の思ってることが分かるんですよ。被害妄想って言われた事もあるけど、実際当たってます。今回の事もそうですけど。

そうなるともう絶対フレンドリーになれません。嘘でもいいから〜、なんて言葉は私の辞書にはないのである(笑

どんなにいい人と言われていても、兎に角嫌で仕方ないって人がいたりして、その人に関わらないようにしていたら当然私が悪者になったりして。その後で犯罪がバレて捕まったりとかする人はいいんです(良くない?)けど、そこまでの悪ではない人、つまり普段仲良くしてるのに相手が居なくなると途端に悪口言ったりする人。こういう人が質が悪いなと思います。

 

人って自分の基準で物事をみてしまいますから、私も自分の基準つまり人の悪口は言ったりしないのが普通だと思っていたんです。ええ、私悪口言うほど人に興味ないんですよ(笑

 

でも世間には悪口も言い合えない人間は信用できないという人達もいて、それが割合多いみたいなんですね。つらい。

とは言っても、そういう人達も悪人と呼ぶには語弊があって、困っている人がいたら助けたりとかは普通にします。

誰だって100%悪でもないし善でもないのは当たり前です。で、大体の人は善の方が多いですからそれでなんの問題もないんです。

 

が、わたしにはどうしても許容出来ない。

お金を盗んだりモノを壊したり、そういう悪は悪らしくていいなって思います。いやまあ良くないんですけど、責任の所在が分かりやすいじゃないですか。勿論証拠があっての話ですが。有る事無い事本人が弁解も出来ないのに言いふらしたりする方が罪が重いなと感じます。

まあ自分がやられる立場だからそう思うわけですが。それでも行き過ぎれば冤罪だって起こるわけですしね。

 

悪口なんて可愛いもんじゃない、と思われるでしょうけどそれは一例です。実際吐き気を催す邪悪というのも沢山いますが、そういうものとは直接の縁がないんです。ありがたい事ですが。

でもそういう邪悪な人は割合多くてかなり身近にいて、しかも良い人そうでなんなら人気者だったりします。そして周りの普通の人は感化されやすいんですよね。だから質が悪いんです。

 

まあなんにせよ報いを受けるに相応しいと言えるんでしょうけど、それで全部片付けるのも癪に触るなぁというだけの話でした。

 

しかし今度はクビになる前に辞表を叩きつけそうだ。絶対後悔するだろうけど。

半年後に会社を辞める自分が見える〜(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

 

 

 

こんなところまで読んでしまってお気の毒に。さあ、ご飯でも食べてひとっ風呂浴びてリフレッシュしましょう。