結局言葉は嘘っぱち
愛とかハートとか神とか大いなる存在とか・・・
そういう分かったような分からないようなものは、全て捨て置いたほうが良いと思います。そういうのって結局自我のフィルターを通しているものだから。
悟った人でも外界と接触する際には、言語というフィルターを通す事になります。もちろん凡人とは違って欲とか悪意のようなものはないでしょうが、今までの知識とか環境というものがどうしても影響してきます。
冒頭のようなことを言う人はほとんど西欧人で、聞く側も西欧人なんですよね。で、大体はキリスト教。
基本的に説法は相手に合わせてするものだから、愛とかそういう類の言葉が出てくるのかなと思います。
だから、自分も日本人なのに、日本人相手にこういうことを言い出す人は、そもそも説法するだけの能力がないのかもしれません。結局どこかの誰かが言った事をそのまま繰り返しているだけ。
西欧人同士なら愛とかでもいいんでしょうけど、私からしたらどうしても底の浅いというか、お寒い感じがしてしまいます。まあ、私はもともと薄情な人間なので、理解するための素養がないということが理由の一つかもしれませんが。
でもやっぱり神とか愛とかいわれると、カルト臭がしてまともな人ほど敬遠しそうな感じです。
どちらにせよ、悟りに愛はいらないし、ハートもいらないし、慈悲もいらないし、神も仏もいらないし。だから愛の感覚が体験できないとか、どうでもいいんですじゃないですか。人それぞれだし。
むしろその体験が、自我の妄想であるかもしれませんし。
結局悟った人の言葉を、悟っていない人が正確に読み取る事は不可能ですから、いくら覚者の言葉といえど、そういうものに惑わされないようにするのが賢明だと思います。