別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

テレビドラマにはプロパガンダが満載

私は海外ドラマをよく見るのですが、数年前からとあるプロパガンダが流されるようになっていました。

それは、ヒラリークリントン大統領、の誕生です。

 

主人公達の後ろで流れているニュース番組とかで、ちらっと映るんですよね。ヒラリー大統領が。

 

まあ結局トランプ大統領が誕生したわけですが、あの時のヒラリー陣営の投げやりな態度は、今までの仕込みが無駄になってしまったという悔しさからなんだろうなと思います。

あんなにお金かけたのにね(笑)

 

今もごたついているようですが、まあ権謀術数が渦巻いているのでしょうね。別にトランプ大統領を応援している訳ではありませんが、ヒラリー側、つまりグローバル勢のやり口を見ていると、あ〜〜ハイハイ^^; ってなります。

 

 

なんでしたっけ。

新聞はアカが作ってヤクザが売ってバカが読む?

 

テレビも新聞も見ないに越した事ありませんな。

 

 

 

生きるのが辛い?本当に?

生きるのが辛いというのは私にもわかります。

でも良く考えてみてください。その辛さは、前提条件が変わったとしても解決できないものでしょうか。

例えば、お金があればどうですか?楽しく生きられますか?友達がいれば?家族がいれば?理想の職場があれば?

 

もしそれでも解決できなければ仏陀に聞いてください。

 

 

酒のみ中学生

仕事帰り、道端で酒盛りしている女子中学生に遭遇しました。

自分も中学生ぐらいのとき、一通りお酒を試しましたが流石に隠れて飲むくらいの分別はあったものです。誰かがもし学校や警察に通報したら面倒な事になるということは、少し考えれば分かると思うんですがね。酒を飲んだから馬鹿になったのか、馬鹿だから酒を飲んだのか・・・。

 

おそらく、私と彼女たちではお酒をのむ目的が違うのでしょう。彼女たちは文字通り盛りたいのだと思います。わいわいがやがやするのに酒の力を借りないといけないと言うのは、なんとも情けない話ではありますが。

私の場合は両親が酒飲みだったので、酒とはそんなに良いものなのかという好奇心から酒を飲み比べました。結論から言ってしまうと、酒はろくでもない物です。意識ははっきりしない、なんとなく体の節々が痛い、ちゃんと眠れなくて寝起きもだるい、とまあいいことなしでした。

おまけに、身内の醜態や事故やらを散々見せられた事もあり、それ以降私は酒を飲むことをやめました。

 

 

仏教には不飲酒戒(ふおんじゅかい)がありますが、ただただ頭ごなしに酒は駄目だ!としてしまうと、かえって未練が残ってしまいがちだし、なんとか意志の力で押さえつけても余計なストレスになってしまいます。

なかなか酒が止められないという人は、酒を飲んだらどうなるのかしっかりと観察してみてはいかがでしょうか。そうして酒は必要ないと分かったら、二度と飲みたいとも思わなくなります。

 

それでも酒は必要だ、という人は浴びるほど飲んだらいいんですよ。中途半端はだめです。週末は休肝日とか生ぬるいことやるなんてのは情けない。

文字通り死ぬほど飲めばいいんですよ。

 

 

悟りに対する誤解

たぶん人生しんどくて辛い人が悟りに興味を持つと思うんです。まあそうですよね。全て手に入れたからあとは悟りだけだ!って人もいるかもしれませんが。

でも、別に悟ったからって人生なんでも思うようにスイスイ生きていけるわけじゃないみたいですよ。

 

悟りって、まあ当然ちゃ当然なんですけど、それ自体を言葉で表現するのは不可能だし、なんとかこねくり回して説明されたところで実際のところはやっぱり分からないんですけど、一ついえることは悟りってのは全てを捨てていくことなんですよね。

捨てて捨てて何もかも捨てて、最後は生も捨てさって解脱するわけですから、決して何かを得る道ではありません。捨てるというよりは死んでいくに近いかも

 

 

まあ、仏教は戒律を守ったりお布施をしたりして、結構現世利益もあるので、学んで悪い事は一つもないと思います。

ちなみに、戒律を守る→悪いカルマがでないようにする、お布施をする→物質的に豊かになる(ただし今生とは限らない^^;)、という効果があるので是非どうぞ。

 

 

 悟りたいって言っている間は悟れないんだろうな~ それを言っているのは誰かって話ですよね、きっと。

 

 

般若心経って

結局のところ私にはよくわかりません。

仏教系の学校に通っていたので毎朝般若心経読まされていたんですけどね。

仏教の先生にも色々聞いたんですけど、特に意味はありませんとか言われちゃったし^^; 一応お坊さんのはずなんですけど

 

勝手な印象としては、簡単なことを難しくこねくり回しているように感じます。意識高い系とでも言いましょうか。

 

 

四聖諦と八正道、あと縁起あたりを押さえておけば実践する人には十分なのかな、という気がします。

あとは自灯明、ですな。

 

 

負の連鎖

私はお金にたいする執着がすごくあります。めちゃくちゃケチです。執着しつつも、どこか諦めがありますが

 

子供のころは本当に貧乏で、しょっちゅう家にはお金がないといい聞かされてきました。まあ、それは事実だったのかもしれませんけど、いたずらに子供に聞かせることでもありませんし、言うにしても言い方ってもんがあると思います。

例えば、ディズニーランドに行くようなお金はないけど、食べて行くだけなら大丈夫だとか。

私はもともと心配性で何でも深刻に受け止める癖がありましたので、お金が無い=食べる事ができない=死、という恐怖がいつでもありました。

 

子供のころはこんなに不安で一杯なのは親が私に植え付けた所為だと思っていましたし、親にもそう言ったところ返ってきた言葉は

「お前が勝手にそうなったんだろ」

まあ、其の通りですよ。そのように構築された自我を自分自身だと思い込んでいるわけですから。だからと言って親に責任がないわけでもないでしょう。

子供によって生まれ持った性質や反応の仕方が違うわけですから、十把一絡げに対応するのは乱雑すぎるとも思います。

子供を沢山生んでいた時代は今よりもっと親の育て方は雑だったと思いますが、その代わり見本になる兄弟が多いわけで、自分の考えも修正しやすかったのではないでしょうか。うちの家族は変だなって。

逆に数が少なければ、子供一人ひとりの性質も把握しやすくなるので、個別に対応することもしやすくなりそうなもんなんですがね。

結局貧すりゃ鈍する、全部貧乏が悪いんや!(笑

 

 

私はどうしようもない親に育てられましたけど、今となっては私の親もまたどうしようもない親に育てられたわけで、その親もまたどうしようもない親に育てられたわけで、その親もまた・・・・・・誰かが言っていましたが本当に呪いのようです。

 

高校生ぐらいの時、この負の連鎖は私が断ち切るしかないなと決意しました。負の連鎖を断ち切るには、自分の問題を解決するか、子供を持たないことにするしかないと思いました。まあ、もともと結婚願望とか全然ありませんでしたので、ちょうど良かったです。

昨今、結婚しない子供を産まないという人が多いですが、実は私のように考えている人が結構いるんじゃないかなと思います。自分のところに生まれる子供はかわいそうだ、とか。

だいたい、ろくでもない家庭を見て、どうして結婚しようとか思えるんですかね。そのほうが不思議です。

 

 

 

私の親は特別精神的に問題があったのだと思っていたんですけど、所謂普通の家庭で育った人も、はっきり言っておかしいです。人類総精神病なのです。

もし、あなたの家族がどうしようもない人達だったとしても、さほど思い悩む必要はありません。放って置いて、さっさと縁を切ればいいと思います。

ただ、気をつけてほしいのは、自分は親とは違うと思っている人ほど、親と同じ事をしているので。私の母のように。そして、その事に全く気づいていないという。だから自分を省みる事も出来ないしどんどん連鎖していくわけです。

 

 

しかしまあ、肉体的な虐待ならともかく、精神的な虐待は完全に放置されている現状は、何とかならないかなぁ。

一人一人がほんのちょっとでも自分と向き合えばいいのになぁ。まあ、無理だろうけど。

 

 

 

 

生かされている

私たちは生かされているんですよ~感謝感謝~^^

ってよく聞きますけど、それであなた本当に幸せなんですか?「生かされている」の意味を考えた事あるんですか?

  

畜産動物を思い浮かべてください。牛、豚、鶏その他もろもろ。生かされていますよね、人間に。彼らも幸せでしょうね。だって、生かされているんですから。そうなんでしょ?

まあ、餌はたっぷりもらえますね。最近ではのびのび放牧してくれるところもあるそうですし。家畜の安寧?病気になったら即刻処分されますし、元気に育っても美味しく食べられちゃいますけど。幸せですね。

 

動物園。こっちなら畜産よりも良い生涯を送れそうですね。名前も付けてもらえるし、配偶者も用意してくれるし。これなら安泰です。 人間に感謝しないといけませんね。けらど、彼らには使命があります。自分達を生かしている存在を楽しませる、という使命が。

 

人間は動物と違う?なんか出来の悪いテレビショッピングみたいですね。この放送を見ているあなたには特別に!この価格で!みたいな。

もう、すぐ騙されるんだから〜

 

 

 

 

ネットは 「生かされている」礼賛主義みたいなので、天邪鬼な意見が一つくらいあってもいいですよね。

 

 

カルマ的100%自己責任論とカルマの解消

論、と題うっては見たものの、カルマについては考えるだけ無駄とお釈迦様もおっしゃっているので、言うほどの事もないとは思うんですけど、でもカルマというものを考えるとやっぱり100%自己責任であるということになるなぁという事をちょっと書いてみたいと思います。

 

カルマについて詳しくは御自身で調べていただくとして、もともとの意味は「行為」です。そして「行為」が「原因」となり「結果」が現れます。

さて、そもそもの原因となる行為とはなんぞや、という話なんですが、これは「全て」なんですね。自分の全ての行為が原因となって結果がでるのを待っている。

全ての行為って、今日は困っている人を助けました、昨日は嘘をつきました、とかそういう主に記憶に残るような行為だけではなくて文字通り全てです。大雑把に言えば、息を吸ったら吐いて吐いたら吸って、右足を出して左足を出したら前に進む、とかそういうのもカルマです。あと身体的行為だけじゃなくて思考することも行為です。

重要なのは生きている限り行為をしないことは無いということなんですね。

 

そうすると必然的に目の前に現れた結果には、すべて過去の自分の行為があることになります。今生だけじゃなくて、前世のそのまた前世の・・・なんてこともあるかもしれません。

もちろん結果が現れる為には条件がそろわないといけないので、今生では結果をだせないカルマも当然あります。(ちなみに仏教が善行や戒律を推奨するのは、悪いカルマの条件がなるべくそろわないようにするため、という意味もあると思います)

 

まあそのように考えると、100%自己責任だし、カルマの解消なんて到底不可能だなぁと思うのです。これは腑抜けの私には非常に厳しい考えなんですけど、致し方ない。

 

カルマの解消をうたっているセラピスト達は、もし誰かに殺されるというカルマがあったとして、どうやって解消するつもりなんでしょうか。

いっぺん死んでみる?(地獄少女風に)

 

 

 

いかに自己責任が無責任か

冤罪薫る初夏の候~ダブルスタンダードを添えて~

痴漢の被害もその冤罪もぜんぜん減りませんね。これは個人の自衛よりも社会的な構造に問題があると思うんですがね。まあ置いといて。

 

先日も痴漢に間違われた(と主張する)男性が線路内に侵入し電車にはねられたという事件がありましたけど、ネットの反応はいつもどおり「冤罪許せん!女は○ね!」という感じです。

いつも「痴漢に会うのは女が悪い、自己責任」といきまいている人は「冤罪に会うのは男が悪い、自己責任」と言ってほしいところなんですがね。残念。

 

さて、まずこの「自己責任」がいかに「無責任」かという話ですけど、大方の人は天災などは自己責任ではないと考えているかと思います。本当にそうなのか?

例えば、何かの試験があるとして不合格になったとする。勉強が足りなかった、もっと努力しろ自己責任だ。これは分かりますね。

次に、地震津波の被害にあったとする。かわいそう。本当に?

彼ら自己責任論者の理論に沿って言えば、この日本はもともと地震が多いことが分かっているのだから、地震のない国に移住しなかったのは自己責任だ、となってもいいはずなんですけどそうはならない。お金が無いから移住できない?金を稼ぐ努力をしろよ、金がないのは自己責任!普段あれだけ貧困は自己責任だって言っているでしょ。

 

 

ここで痴漢の話にもどりますと、

女性が痴漢の被害に会う

 →満員電車なんかに乗っているのが悪い

 →男を誘うような服装をしているのが悪い

男性が痴漢冤罪の被害に会う

 →満員電車なんかに乗っているのが悪い

 →女のそばに立っているのが悪い

となってもよさそうなもんですけどね。どうですか。

 

結局のところ、自分には無関係か限りなく関わりがないように思える場合は自己責任と言っているだけのようですね。自分にも降りかかってきそうな事は、自分が其の立場になれば自己責任だと責められるわけですから。巷にはびこる自己責任論はどうやら卑怯者の戯言のようです。

 ちなみに車内が空いていても痴漢するヤツはするので、被害にあいたくない人は、男女問わず各々自衛することを推奨します。

 

しかしまぁ、こういう議論は責任の所在と自衛することの是非をごっちゃにしているからいつまでたっても平行線をたどっているのではないでしょうか。

事件の責任は加害者にあるし、自衛の責任は本人にあるし、構造的に犯罪を防止する責任は社会(鉄道会社や政治)にあるし、冤罪の責任は司法にあるし。

もうそれでいいんじゃないですかね?面倒くさいなぁ~

 

 

 

ここまで言ってきてなんですが、カルマ的な意味合いで言うとやっぱり100%自己責任となるんですけどね。その話は次で。