別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

北朝鮮について、確かに迷惑な話ではありますが、でも国際社会の欺瞞というのも存分に見て取れるのです。

まず、米国や他の国々が核を持っているのに、なぜ北朝鮮はダメなのかというと、自分たちの優位性がなくなるからですよね。

国際社会の脅威とか言っていますけど、結局は俺は良いけどお前はダメだ、と言っているだけでしょう?

 

別に国同士でなくても、この先発の優位性や利権、格差を固定する行為は、あらゆるところに見られます。儒教とかわかりやすいでしょうか。先に生まれた方が偉いのなら、後に生まれた者には勝ち目がありませんよね。

それをひっくり返すには、既存の秩序を壊すしかないし、壊すためには暴力が一番効果的で手っ取り早いのです。

 

日本にも北朝鮮を非難する人は多いですが、その人達の中にも、権力を掌握し他者を虐げることを、当然のように思っている人もいるのではないでしょうかね。

過労死や自殺などで、そこまで追い込んだ企業ではなく、当人へ非難が集まりやすい事からも推測できます。

 

別に北朝鮮を支持しているわけではないですが、北朝鮮の行動はある意味では合理的とも思います。実際、一定の効果を得ていますからね。勿論その分返り討ちに合う危険はありますが。

 

 

日本人というのは悪い意味で教育が行き届いているので、権力者や既得権益側にとって、これほど楽な国はありません。

北朝鮮の事を非難するのも良いですけど、まずは自分の足元を見つめなおした方が良いんではないですかね。

 

 

みんなが悟ったら

みんなが悟ってしまったらどうなるのか?人類は絶滅するの?

仏教に足を踏み入れた人が、一度は考えるんじゃないかなと思うんです(偏見?)

答えは「そんな事にはならないから無駄な事考えずに修行しろ」なんですけどね。

 

まだ子供の頃は、この答えに納得出来なかったんですけど、大人になるにつれ、確かにそんな事にはならないだろうという、確信が生まれました。

目標は大事、欲望は原動力、努力は美徳、ちょっとネットを見ただけでもそんな主張で溢れかえっていますね。

そして、口を揃えて必ず言うのが、「欲望が無くなったら経済は衰退し子孫も生まれず人類は絶滅する」

 

それで?って感じです。

人類が絶滅して誰が困るんですかね?人類が困るのかな?問題だと思う人類自体がもういないのに?

地球や他の動物からしたら、人類がいなくなって清々するんじゃないですかね。

 

 

 

仏陀の教えに出会えた事は稀有な事だし、さらに実践しているなら、ゲームクリアする事も時間の問題でしょう。

だからと言って優越感とか持ってしまうと何にもならないんですけどね。

仏陀の教えは、全人類の救済なんてハナから考えていないのです。ただあなた一人が救われるために教えを説いて下さったのです。阿羅漢達は、将来同じ道を歩むだろうあなたのために仏典を残してくれました。

 

まあ欲望礼賛主義のおかげで、私も生きて悟りを目指す事が出来るんで、それをただ乗りだと言われても仕方ないかなと思います。ただ、資本主義からすれば、参加する人数が多い方が、欲望礼賛主義の方にとっても都合がいいはずですから、あまり虐めないでほしいものです。生きている限り、最低限衣食住にかんしては消費活動してるんですからね。

 

 

ミサイルが撃たれても平気の日本人ですが、あまりにも慣れてしまっていて、本当に国土に撃ち込まれたときが心配です。あれだけ譲歩された国連決議に対しても、口だけじゃなくて実際に撃ってきていますからね。

 

まあそんなことは置いといて _(:3」∠)_

 

ミサイルのたびに株や為替が動いているのを見ると、儲けるにはインサイダーが一番だなと思います(笑

私は非常に強欲な守銭奴なので、リスクのある投資はしたくないんですがでもお金も欲しい!ので、暴落後のことをちょっと考えて見ました。

まあ暴落するかどうかはわかりませんがね。

 

!!完全な素人意見ですので悪しからず!! 

 

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[当たり]住宅展示場のハガキ

ハガキが入ってたんで何かと思えば、住宅展示場の案内でした

なんでも、このハガキもって行くとQUOカードがもらえるらしいんで、ちょっくら行ってきま~す^^

 

あとおまけのスクラッチ削ったら「当たり」が出ちゃいました

なんかゼリーみたいな詰め合わせがもらえるみたい

 

・・・・・・まあ、いつか平屋の一軒家を建てられたらいいなと思っているので、完全な冷やかしではない・・・はず・・・・・・

乞食でごめんね!でも、ありがたく頂戴しますね!

 

 

しかしまあ、日本の住宅事情を調べると、ほんと絶望しかないですね。いい加減ウナギの寝床みたいな土地に家建てるの禁止にしたらいいのに

あとどんなに見た目が立派でも、殆どプレハブと変わんないです。断熱性も機密性も十分じゃないし。アルミサッシが現役とかありえない。

大手ハウスメーカーなんて、消費者が何も知らない事を良い事にやりたい放題してますよ。

 

季節が感じられる家で~す^^

・・・・・・家の中でまで季節かんじなくていいんじゃないですかね?

 

一応2020年に省エネ基準義務化されますけど、この基準じゃ全然足りてないように思います。まあ無いよりマシなんでしょうけど。

あと現場の職人さんが、昔気質だったり十分に理解していなかったりすると、当初の計算どおりにならなかったりしますし、政府だけじゃなくて日本人みんなの意識が変わらないといけませんね。

 

まあ結局お金があれば全て解決する問題なんですけど、問題は金がなきゃまともな家に住めないってことなんですよね。

せめてヒートショックで死ななくて住む程度の家が標準になるといいですね。

 

 

「乗り越える」ということについて

何かを克服するとか、過去の出来事を乗り越えるとか、世間では素晴らしいことのように言われていますね。

でも乗り越える為にはその「何か」が必ず必要なんです。克服した、乗り越えたと言っている限り、いつまでもその「何か」を基準にしてしまっている、後生大事に抱え込んでいることに気づいて欲しいと思います。

 

その「何か」が例えば毒親だった場合、気をつけないと克服したつもりで自分も同じようになる可能性があります。なぜなら「毒親を克服した私」というアイデンティティは、毒親なしでは成り立たないからです。自分の存在の土台にしてしまっているんですね。

でも意識の上では克服したつもりなので、克服できずにいる人よりも、無自覚であるという点で質が悪いのです。

 

かといって、ただ自覚があれば良いか、というとそうでもなくて、自覚しているからこそ、そこに注意が向いてしまうこともあります。

「シロクマのことだけは考えるな」というタイトルの本がありましたが、まさにこのタイトルを見た瞬間から、しろくまのことを考えずにはいられなくなるのです。

親の似たくないところばかり似てしまう事は、良くある事です。自覚があろうがなかろうが、不幸を再生産する可能性が高いことは忘れてはなりません。

 

 

しかしながら、自覚なくして救われる可能性がない事もまた事実です。

 

仏教では「超越」というキーワードがたまに出てきますが、これは「乗り越える」ではなく「断絶」を意味します。

過去は過去、記憶は記憶としてあるけれど、それと今の「私」には全く接点がないということです。過去や記憶とは関係なしに存在しているのです。

言葉では理解できない領域ですが、今まで世間的なアプローチでは解決できなかった人こそ、仏陀の教えにチャレンジしてほしいと思います。

 

 

悟りと男女

男性脳とか女性脳とか、言っている人がいますが、まあそんなくだらない事は仏教徒なら無視しておくに限ります。

厳密に言えばホルモン等の影響による差はあると思いますが、それよりは環境から受ける影響のほうが大きいです。女性は女性として育てられるし、男性は男性として育てられるのです。

 

この平成の世であっても、「女に学はいらない」と考えている男性というのは、実はかなりいます。どうせ嫁にいくだろう、ということなんでしょうかね。

男性に言われてもへらへらしているのに、女性に言われると逆上する男性というのもいますしね。

脳の機能の違いというよりは、学習によって獲得した反応でしかありません。

 

悟りに関しては男女の差は全くありません。大乗仏教にみられるような、女性は悟れないとか、一回男性に変わってから、とかそういうのは完全な間違いです。所詮肉体なんていうのは条件によって現れたものでしかありません。

ただし、極端に本質を突き詰める能力、ということで言えば男性が有利になるとも言えますが、それもあくまで社会的要因であって、全ての男性にそなわっているわけではありません。ただ女性が知性を伸ばす事について、あまり推奨されないのがこの社会なんです。

 

まあ結局は「人による」としか言えませんな。

そもそも悟りっていうのは、そういう全ての概念を超越していくのだから、男女の違いとか言っている時点でお察しなのです。

 

 

差別をなくそうとして行動している人は沢山いますけど、基本的に差別はなくならないものと思っていたほうがいいと思います。

一つの差別がなくなっても、必ず別の形の差別が生まれます。もう人間がいる限りこのいたちごっこは終わりません。

被差別側にいるのは辛いことなんですけど、もうきっぱりこの世に絶望してしまったほうが、逆に幸せなんじゃないかと思います。

戦っている限り悟りを得る事もできないですしね。

 

 

よく「権利は自分で勝ち取れ」みたいな事を結構簡単にいいますけど、それは暴力革命を推奨しているのかな?と感じます。

法律に則ってとか、平和的解決なんてのは、被差別側が何かを訴えたりしても、結局差別側が認めないことには何も実現しないのです。なぜなら差別側は基本的に権力があり、差別がある事で利益を得ているから。

 

そもそも権力者側に賛同してくれる人がいたら、実現させることは出来るかもしれないが、たいていの場合被差別者を開放することは、利権を手放す事と同じなので、利権を手放したくはない権力者は、あらゆる手を使って封殺しようとするのが世の常です。

また、一歩間違えれば自分も差別される側になってしまう人達も、決して差別をやめようとはしないのです。

 

 

そういうわけで、権力者側の意識を変えるための最も簡単で効果的なことが、「たこ殴りにして痛い目みせる」なんだと思います。過去の革命や戦争などをみても、大体そうじゃありませんか?

被差別側で「権利を勝ち取れ」と言うのはわかりますが、権力者側ならたこ殴りになることも覚悟しておく必要があるんでないかな? まあどうせそんなこと出来ないだろ、って思ってるのかもしれませんけど。

 

差別の心というのは本当に根深い問題ですね。

たまに自分は差別しませんよ、という人がいますが、もしあなたが悟っていないなら、必ず差別する心があります。なぜなら認識する能力がまだ存在しているからなんですね。

 

まあ、自分には無いと言い張るよりは、あるという前提でいつも気をつけて生きる方が修行もはかどるんじゃないですかね。

 

 

 

政治家の失脚を見ていると、五戒さえ守っていれば良かったのに、って思いますね

まあそんな人は政治家にはなれないだろうけど