別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

(ひとりごと)自殺と安楽死

人身事故の話で思ったけど、それが迷惑だって言う人は一致団結して安楽死を制度化することに本気で取り組んでみてはどうだろうか。

そうしたら自殺する人だって、なにもわざわざ苦しんで死にたいわけじゃないから安楽死を選ぶだろうし、電車も遅れないしwin-winだね^^

 

まあ、なんとなく自殺したい人を安楽死させるのか、という問題はあるだろうけど。でも余命がないから安楽死していい、経済的な理由で安楽死なんて甘えるな、とかそういう線引き自体が必要ないと私は思います。死にたいなら誰でも安楽死させてあげればいい。

いつでも楽に死ねる、という安心感があれば逆にもうちょっと頑張ってみようって思う人も増えるのではないでしょうかね。

 

(ひとりごと)人身事故と自己責任

人身事故が絶えませんが、それに迷惑だとかいう人は自分が迷惑を被っているのも自己責任だと思ったほうが良いんじゃないですかね。

 

人身事故を起した人はもしかしたら自分の行いが悪い所為で追い詰められた結果、そういう行動に出たわけで、確かに自己責任かもしれません。

しかし、世の中の人はそれに対して放っておくという措置を講じたわけですから、その人がかける迷惑は甘んじて受ければいいんじゃないですかね。

たとえ本人の自己責任だろうが、そうして追い詰められた人がどういう行動をとるか、それに伴う損害は大体予想ができるわけです。

 

例えば金もなく、働くところもなく、頼る人もいない、というならその人は泥棒なり犯罪を犯す可能性が高くなります。刑務所から出ても再犯する人が多いのは、社会に受け入れる土壌がないからでしょう。

例えば虐待されて育った子供に対して、家庭の問題、成人したら本人の責任、と言って突き放すのなら社会をうらんでテロを起したとしても、措置を講じなかったために起こった事件であるとも言えるでしょう。

勿論どんな状況でも立派に生きていく人はいますが、全ての人に手助けなしでそれを期待するのは無理があるのではないでしょうか。

 

別にそういった人たちを必ず受け入れろと言っているわけではありません。受け入れたくないならそれで構いませんが、そのことによって発生する損害は、甘んじて受け入れる必要があるという話です。

私の上司に、仕事は最初から100%完璧で当たり前、という人がいました。人はミスをするという前提でチェック体制を整え最終的に100%まで持っていく、という方が現実的だと私は思いますが、その上司は何かあるたびに思い通りにならないと怒っていましたよ。

 

勝手に死ね、ただし迷惑をかけるな、というのはちょっとわがままではないでしょうかね。

まあそんなカリカリして不善を積み上げる必要もないでしょう。

 

(ひとりごと)株価のはなし

株価が連日高値を記録していますが、なんかなーって気分です。

ここ暫く勉強も兼ねて日経平均とか先物を見ていたんですが、海外のファンドが買いまくっているようですね。勿論売り方もいるんですけど値が上がるもんだから、カバーとして買いを入れると。そうすると買いが買いを呼んで、また値が上がっていく、というような感じみたいです。

NYダウも上げ上げですが、アメリカは実際の景気も良いらしいのでまだそんなに違和感はありませんが、日本はホントに大丈夫なのかなと思います。まあ底辺の私が景気の良さを感じられないだけかもしれませんが。

しかし、現物の株なら会社が存続する限り、長期保有でそのまま相続とかもあり得ますが、先物とかっていうのは必ず決済する時が来るんですよね。

この積み上がった大量の買いが決済されたらどうなるんでしょうね?

 

 

(ひとりごと)国と庶民

生活保護とかすごくバッシングされますけど、国庫を家庭や会社の会計と同じように考えてしているから起こるのかなと思います。まあ大部分はただの僻み根性でしょうけど。

 

私もそんな詳しくありませんが、国の支出というのは誰かの収入になっているんですよね。生活保護のお金はまず受けた人の収入になるし、お金を使えば企業の収入に、家賃を払えば大家さんの収入になるし。まあそれがパチンコに使われて北朝鮮の収入になるのが問題なんですが、それならパチンコを潰せばいいという話です。規制できないのは規制したくないからなんでしょうけど。

また、国の借金が1000兆円とかいいますが、まず誰に借りているのかというと、大部分は国民ですね。国民が預けたお金で銀行が国債を買っているわけです。で、その借金はだれかの収入になったわけです。主にバブル崩壊後の団塊世代を食わせるために使われましたね。だから日本の惨状はやっぱり一番の元凶は団塊世代で間違いないんですけども。

まあそれはともかく。

 莫大な医療費は医者と製薬会社の収入になったし、公共事業はゼネコンと中抜き会社の収入になったし。あと役人。で、その分の金を庶民からかき集めるという。

 

なんか庶民と国(&富裕層)は基本的に利益相反の関係にあるんでないかと思いました。まあ国民が豊かになれば税収も上がるということもあるでしょうけど。

 

とりとめのない話になりましたけど、つまり何が言いたかったかと言うと、庶民同士で殴りあうのは止めろ、ってことです。年収が600万だろうが1千万だろうが、庶民は庶民ですよ。

 

 

親を許せない人の慈悲の実践

よくAC克服のサイトなんか見ると、色々ごちゃごちゃありますが最終的には親を許しましょう、という結論に至っているように見受けられます。

まあ、ふざけんなって思いますよね。あんたの親はたいして毒でもなかったんだろって。そこで不幸自慢が始まるわけですよ。

だから私も許せなんていいません。ただ事実確認をしてみませんか。

 

あなたはとても苦しい思いをして来ました。そして今も苦しんでいます。それは間違いありませんね。

ではあなたの親はどうでしょうか。

毒親になってしまう人は、その親もまた毒親である可能性が非常に高いです。昔は昔で酷い環境だったわけですし。つまりあなたの親もあなたと同じように苦しい思いをしてきたし、今もそれを引きずっているわけです。これは事実ではないでしょうか。

 勿論あなたにした仕打ちが正当化されるわけではありませんが、ここで重要なのは、あなたもあなたの親もこれ以上苦しむ必要は無いということなんです。

 

「私は十分苦しんできた。そしてこれ以上苦しむ必要はない。」

「私の親も十分苦しんできた。そしてこれ以上苦しむ必要はない。」

 

 

いや、親には苦しんでもらわないと割りにあわない、とか思います?

では、見ず知らずの子供が虐待されていたとして、あなたその子供にもっと苦しめって言えますか?子供の頃のあなたも、もっと虐待されたほうが良かったでしょうか。あなたの親だってあなたと同じなんですよ。かつて虐待されて苦しんできた無力な一人の子供です。

とりあえず被害者意識は横に置いて、もう少し冷静に観察してください。親ではなく一人の人間として観察してください。なぜこの人はこんな振る舞いをしているのだろうか、と。この人も私と同じように苦しみの中にいるのだ、と思えてきませんか。

 

いやいや、私と親が同じなんてありえない!と言いたいでしょうが、あなたは苦しみから抜け出したいんですよね?それとも今のままずっと苦しみたいのですか?そこははっきりさせておかなければなりませんね。

もう苦しいのは沢山だと思うのなら、ためしにやってみてもいいのではないでしょうか。

 

まあ、こんなこと言ってる私も、時々記憶がよみがえって来てはムカっとすることがありますが、そんなもんです^^;

だから気を楽にして、ぼちぼちやっていきましょう。

 

もっとも、親を殺すしかないと思うならそうしてもいいと思います。きっと私には考えも及ばないほど極悪な親だったのでしょう。そこはご自由にどうぞ。ただ、それで楽になる保証はないし、別の方法を試すわけにもいかなくなりますから、最後の手段にして欲しいとは思いますが。

 

 

(ひとりごと)能力が有るとか無いとか

能力がなければ死ね、というのがこの世の常識ですが、そもそも本当に能力のある人なんているのだろうかと思いました。

幼稚園児だったころ、養護教諭の帝王切開の痕を見たことがあります。先生が手術を受けた当時は、縦に大きく切開するのが常識で、それはもう酷い傷跡でした。おかげで絶対に子供を産まない事を決意しました。

まあそれはともかく。

多分先生の執刀医は世間では能力があると認定される人だろうと思いますが、私としては教科書丸覚えのどうしようもない人間だとしか思えません。そして今も昔も日本にはこの類の人間が大多数を占めているように思います。

ではどんな人が能力があるのだろうかと考えてみます。医者の例だと、「大きく切開すると患者の負担になるし回復も悪くなるので小さく切ろう」と考えられる人が能力があると言ってもいいのではないかと思います。

さらにいえば、「酷い傷跡が残ったら可哀想だからお腹のシワにあわせて切開しよう」という人が、真に能力があるのではないでしょうか。

こういう人たちのおかげで、この世はなんとか保っているのかもしれません。

 

能力が有るから偉いとか、無いから死んで当然とか。まあ人を思いやる能力が無いことは確かですね。

というか、本当に能力があって社会に貢献している人達は、人を罵っている暇なんてありませんよね。

 

 

実は瞑想は必要ない?

預流果になるくらいなら、実のところ瞑想は必要ない場合もあるようです。さんざん瞑想瞑想言っていたくせに、どの口が言うんだという感じですが^^;

瞑想して悟るとはいうものの、いろんな話を見ていると瞑想中に悟ったりする事はあまりないように思います。だいたい何かの拍子に、休もうとして横になった拍子に、逆に起きようとした拍子に、突如として起こったりするのです。何かを見た拍子に、鳥の鳴き声を聴いた拍子に。

それが何時来るかは分かりませんが、悟りを意識している時でないことは確かです。悟りと言うのは追えば追うほど逃げていってしまうようですね。数ある欲望のなかで、あとは悟りたいという欲だけを持っている人が、その悟りたいという気持ちを捨てた途端悟った、という話もあるそうですから。

 

じゃあどうすればいいんだ、という話なんですけど、こればっかりはどうしようもないんですよね。あっさり悟る人もいれば、死ぬ間際まで悟れない人もいるし。個人差が非常に大きい。

結局のところ、期待せず、かといって落胆せず、粛々と修行を続けていくしかないようです。

 

 

(ひとりごと)梵我一如?ワンネス?

今更気づいたけど、ワンネス思想って梵我一如からきてるんですね。梵(宇宙)と我(私)が一つ=ワンネス みたいな?

梵我一如というのはお釈迦より前からある思想ですから、まあ悟りとは関係ないと私は思うんですけどね。

おそらく禅定で得られる感覚を悟りだと勘違いしたことが原因なのだろうと思います。多分第3かそれ以上の感覚なのかな?

 

研究者によって、仏陀は梵我一如を否定していないとか逆に肯定していたとか、色々な説があるようですが、もし悟りが梵我一如ならわざわざ仏陀が獅子吼なんてする必要はないわけです。仏教が迫害されていたのも、梵我一如を肯定しなかったからじゃないんですかね?

 

私の意見としては、例えワンネス体験をしたとしても、それはただの途中経過や副産物みたいなもので、早々に捨て去るべきもの、だと思います。

そもそも確固たる我なんて存在しないことを見破るのが目的なんですから、我々が目指すゴールでない事は確かなのです。

 

 

花粉症ゼロの実現

すべての人に有効かはわかりませんが、花粉症を治したいなら水をちゃんと摂ることです。

冬の間、どれだけきちんと水を飲んだかで明暗が分かれます。

私も酷い花粉症でしたがちゃんと水分を摂るようにしてから、ほとんど症状が出ていません。たまには鼻水も垂れますが、まあ気にしないことも一つの方法ですね。

野口整体 花粉症、で検索すれば水の飲み方とかわかると思いますので、是非試してみてください。

 

昔は足とか乾燥して粉吹いていましたけど、乾燥肌とかじゃなくて単純に水分不足なだけなんですよね。トイレに行きたくなるから水を飲むなって言われてましたけど、今思えばトイレぐらい自由に行けないことに疑問を持つべきでしたね。

 

 

(ひとりごと)ポンコツな体

このままだと怪我するのが分かっていながら、行動を止められないことがありませんか?

私は包丁の使い方が下手で、よく指ごと材料を切ります。注意散漫なのか反射神経が悪いのか、とにかく思い通りにならないものです。

まあまた一つ、体は執着するに値しないということを思い知ったので、指を切った甲斐があったというもんですかね。でも痛い…>_<