別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

世間で生きるとは

真に仏道を歩みだすと、だんだん世間と折り合いを付けるのが難しくなります。

仏教徒なら世間とも上手くやってナンボ、と言う人もいますけど、悟りの性質上それはやっぱり無理だと思います。世間と距離を保ちつつ接する事は出来るでしょうが、世間の中では生きられないでしょうね。世間で生きられるなら、そもそも出家という行為が必要ないわけですから。 

 

何故世間と折り合いが付かないかというと、世間では「生きる」事が最大の目的だからです。全てが生きるために周っています。世間では生きる事に疑問を持つ事は、最も罪が重い事のように扱われます。

しかし、悟りの第一歩は、その生きる事への疑問から始まるのです。

 

何故生きているのか?生きる事がこれ程苦しいのか?苦しんでいる自分とは何なのか?

 

自分の存在を脅かすものは、何であろうと排除しようとするのが世間の姿勢です。古今東西の覚者が迫害されるのは、死の恐怖を想起させるからなんでしょうね。死と向き合おうとする人は、余りに少ないのです。

 

世間にいる限り、生きる事そしてそれに付随する行為を強要されますが、真理に近づけば近づくほど、その苦しみは増すばかりです。

かと言って、何でもかんでも出家すればいいというもんでもないのが、難しいところ。自分と向き合うことから逃げるために、出家を隠れ蓑にしている場合があるからです。

それに出家ってそんな楽なもんでもないみたいですしね。ある意味世間より厳しい。

 

まあ、日本にいると出家するメリットがほとんどありません。欲や怒りから離れるために、世間と隔絶するのが出家の目的ですけど、日本の坊主なんて世間よりよっぽど欲にまみれていますからね。

だから、世間に生きながら、でもそれに嵌まらないよう、しっかり自分を律することが大事だと思います。

 

悟りを開いて、生き生きと?

仏教では預流果の要件は三結が切れる事とされています。三結とは「有身見・疑・戒禁取」の三つの煩悩です。あとは三宝に帰依していることや、五戒を破らないこと等があります。

預流果になったら俗世間で生き生き生きていけますよ、何てことは一言も言っていません。

 

そもそも預流果になると、真理と世間の常識は完全に正反対なのだという事が理解できます。そして預流果はもはや真理に背いて生きる事はしませんから、世間で生きる事は逆に辛くなるのではないでしょうか。真理を実践しながら社会に反しない事は、昔の素朴な生活ならいざ知らず、現代では極めて困難だと思います。

勿論生きていく場所を選べば可能ですが、そうすると精神的には楽に成りますが物質的には困窮するかもしれませんね。

 

そもそも、自分らしく生き生きと、なんて言いますが、その確固たる自分何てものは存在しない事を悟ったのが預流果なのに、どうやって自分を生きる事ができるのでしょうか。

 

こういった事を言う人が、本当に預流果なのか、単なる悟りへの憧れでホラを吹いているだけなのか、それとも悟りへ向かわせようとぶら下げたニンジンなのか、見分けが付かないのが困りますね。

 

悟れば楽になる事は間違いないでしょうが、それが世間で生きる事とイコールではない事は、きちんと踏まえておく必要があると思います。むしろ世間からしたら頭のおかしい人扱いされると私は思いますがね。

 

 

 

悟りは一瞬

たまに、日々修行していると段々と変容してきた、みたいな事を言う人がいるんですが、それはまあ勘違いだと思います。

 

無我を体験するのは本当に瞬間的に起こる事で、日々瞑想して修行してじわじわ悟りました、なんてことはありません。

悟りの“階梯”と言われているのも、実際垂直に移動するからなんだと思います。垂直といってもエレベーターじゃなくて瞬間移動のような感じかもしれません。

 

もちろん、日々精進する事で人格は向上することはあるでしょう。人に優しくできる様になったとか、怒ることがなくなったとか。でも自分は大分怒りが少なくなった、欲もなくなってきたから、既に悟ってんじゃないの~、みたいなことは残念ながらありません。

 むしろ逆で、悟ったから怒りや欲が無くなるわけです。それまでは単に怒りや欲の反応が出ていなかったか、あるいは弱まっていただけで、なくなったわけではないのです。

まあ、欲や怒りから離れることは、とても大事なことですけども。

 

どのぐらい修行が進んだとか、人格の向上とか、そういう余計な事は考えずに、粛々と過ごせば良いと思いますよ。

 

 

戦記ものアニメ

将国のアルタイル面白いって話をしたので、ついでに他の話も。

 

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【アニメ】将国のアルタイル

私の地域では3週くらい放送が飛んでたんで、それっきり溜めたままだったんですけど、折角連休なので16話まで見ました。

 

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仏陀のありがたい公式

輪廻や宇宙について、仏陀は説明しない(無記)としました。

まあ私のような凡人は輪廻の仕組みに興味津々なんですけど、実際それを知ったところで苦しみがなくなるわけじゃありませんから、どうでもいい話なんですよね。

 

たとえば数学や物理などは公式が沢山出てきますが、公式というのは途中経過をすっとばした最終結論ですよね。でもその公式の成り立ちを知らなくても問題は解けます。しかもそれで十分、試験には合格できるわけです。

試験で一から公式を導くなんてことをしていれば、あっという間に時間切れになってしまうでしょうね。頭はいいかも知れませんが、それでは合格できません。

 

輪廻や宇宙の仕組みなどは、公式が導き出されるまでの途中経過みたいなもんなんですね。

つまり知る必要がないし、時間の無駄です。

仕組みが知りたければ、さっさと合格してから好きなだけやればいいわけです。

 

仏陀は公式を残してくれていますから、私たちはそれを使うだけですね。

ありがたや~ありがたや~(-人ー)

 

ディズニーランドと輪廻

私の同僚にもディズニーが大好きな人がいます。年に何回も行ってはイベントやその限定のグッズなどを買ったりして楽しんでいます。

運営側も何度も足を運んでもらえるように、ありとあらゆる仕掛けを作っていますね。

アトラクションや食事、パレード、そしてお土産なんかを買って、あー楽しかったね。

 

また来たい!

 

はい、これが罠なんですね(笑

何だかんだ言って楽しかったな~、でもあのアトラクションには乗れなかったな~、次はもっと計画的に楽しも~。こんな具合に何度もディズニーへ通う事になるわけです。

輪廻もこれと同じような事ですね。

何だかんだ言って楽しかったな~、でももっとやりたい事あったな~、次に生まれたらこんな事したいな~、とか。

 

逆に恋人や友達と来た場合、まあ大体喧嘩しますよね。長い待ち時間にイライラしたり、相手に連れまわされて疲れたり。そういう人たちはもしかしたら二度と来たくないと思うかもしれません。でもそれは一緒に来た人が嫌なのであってディズニーそのものを嫌いになったわけではありませんから、また別の人と来よう、となるわけです。

最悪な人生だった、次はもっと違う人生を送ろう。といった感じで。

まあディズニーの場合はお金がかかるだけだから良いんですけどね。

 

人生の全てが順風満帆で最高に楽しめる環境だったらどうでしょう。また生まれても良いかな?なんて思いますよね。私はイエスの「富んでいる者が神の国に入るより、ラクダが針の穴を通るほうがもっとやさしい」という言葉の意味はこの事を言っているんじゃないかなと思いました。

私も子供のころ、バイキングというアトラクションに何十回と乗り続けた事があるのでわかりますが、楽しかった、のあとに続くのは、もっと楽しみたい、なんですよね。ここいらで満足しておこうというのはなかなか難しい。たとえ一つの事に満足出来たとしても、まだまだ無数のアトラクションがこの世には存在しているのです。

 

同じように「貧しきものは幸いなり」 と言う言葉は、持たざるものの方が未練や執着を捨てやすいからなんだと思います。この世に見切りをつけるというか、諦めるというか。まあ次こそはリベンジしてやる、という別の執着を持つ可能性はあるんですけどね。

 

そんなわけで、この世界はリピーターを増やす為、実に巧妙に工夫されたテーマパーク、といえるのかもしれません。

 

※ちなみに、何故ラクダが針の穴をとおるのだと疑問でしたが、元の言語では綱という意味もあるそうで、確かに綱みたいに太いものでは針穴は通らないだろうなと納得しました。また、馬鹿馬鹿しく有り得ないことの例えに「ゾウが針の穴をくぐる」という慣用句があるらしく、それをもじったという説もあるそうです。そうだとしたら中々お茶目な人ですね^^

 

(ひとりごと)悟りと自己中

今日、久しぶりに母に会いました。今まで絶対嫌だと思っていたけど、今回は顔を見るくらいは良いかという気持ちでした。特に何か心境に変化を起こす出来事があったわけではないけど、まあそんな日もあるかという感じで。嫌な気分になってもその時はその時です。

 

話をしたのは1時間くらいだったので、まあ何事もなく、近況を報告したくらいで終わりました。

それより、珍しいことにお小遣いをくれました。この歳でアレですが、有難く貰っておきました。私よりむしろ母に何か心境の変化があったのかもしれません。

 

それで思い出したんですが、悟りを開いた人へお布施すると、すごい功徳があるという話を聞いて、私が悟れば私のお世話している人は凄く幸せになれるんじゃないか、と考えていた事を。

まあ短絡的ですけど、特に両親は私の世話をしない訳にはいかないんだから、と子供ながらに思ったのでしょうね。みんな私にお布施して幸せになれば良いじゃん!って。

悟った人を探してお布施するより、自分が悟る方が難易度が高いと思うんですがね。そのせいでお前めっちゃ苦しむんだぞって子供の私に言ってやりたい(^^;;

 

でも、仏教って究極の自己中みたいなところがありますからね。私は幸せでいたいから、あなたもどうぞ幸せになって下さい、っていう感じで。

例えば、飢えた人の前でたらふく食べていたら、きっと襲われてしまうだろうから、食べ物を分け与えて相手もお腹いっぱいにすることで、自分もゆっくり食事ができるようになると言いますか。例えるの難しいですけど、何となくわかってもらえるでしょうか。

 

世間でいう自己中というのは、自分さえよければ幸せになれるという、勘違いから起こるのかもしれません。誰かから奪ったとして、一時は幸せになったような気になりますけど、今度は自分が奪われる恐怖を抱く事になります。それって幸せなのでしょうかね。

本当に幸せになりたかったら、もっと徹底的に自己中を極めれば良いんじゃないかと思います。

 

言う事なんて何もない

悟り関係のブログとか山ほどあるし、説明している人も沢山いますけど、実際言うべき事なんて「お釈迦様の言うとおりやれ」しかないのです。

しっかり実践して結果がでれば、おのずと分かる事ですから。それ以前にいくら説明されたって、なんの役にも立ちません。逆にそれらに憧れや執着を持つことになったりもします。

変に知識があると、自分の体験を捻じ曲げて当てはめるという、暴挙に及ぶ可能性もありますし。また、まだまだゴールじゃないのにゴールしたと思い込んでしまったりとか。

 

まあ、ブログしてる時点で私も人のこと言えませんけども。

でも折角こんな記事を見てくれたのだから、とっても役に立つ事を言っておきますね。

 

つべこべ言わずお釈迦様の言うとおりやれ!今すぐに!!

 

(ひとりごと)株価の話 その2

日経株価が2万2,000円を達成したとのことですが、まあ私には何の恩恵もありません _(:3」∠)_

 

引き続きちょっと調べてみたところ、CTAというのが市場で暴れているらしく、これは金融工学を駆使したAIみたいなものだそうです。人が介入することなく自分で判断して売買しているんですね。

売買の手法はトレンドフォローを主流としていますが、適宜個人投資家などを狩りに行ったりしているみたいです。鬼畜ですね。

今の上がれば上がるほどさらに上がるという状況は、このトレンドフォローによるところが大きいのかもしれません。しかも、ものすごい額の資金を運用しており、一つの市場だけでなく複数の市場に同時に資金を投下しているため、それが現在の世界同時株高の原因となっていると思われます。

逆にトレンドが下降しているときは、その流れに乗って売りに転じるので、売りが売りを呼んで、必要以上に下落するのかもしれません。

 

奴らの手法がわかれば大儲けできるんじゃなかろうか、なんて浅はかな考えが浮かびますが、どうやって知るんだって話です。まあ、一方向に傾いたときは、余計な事を考えずそれについて行くのがいいのかもしれませんね。

※ただし、日々の値動きなどは完全に無視して、中長期でS&P500に投資するのが、一番いいのではないかと思っています。

 

以上のようなことを鑑みると、この株高はやっぱり日本の景気がいいからではないようです。アベノミクスとか関係ないんじゃないのかな?私、騙されてない?

 

少子化高齢化・付和雷同と三拍子そろった日本に、明るい未来を思わせる材料なんてこれっぽっちもありませんからね。日本の将来性を見て投資が集まっているわけではなくて、完全に玩具にされているように思います。

まあ私は天邪鬼なんで、心配している間に株価はもっと上がって行くんでしょうけど。