別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

瞑想が抑圧になってはいけない

ヴィパッサナー瞑想する際、私がよくやってしまっていた間違いを書いておこうと思います。

例えば、怒りが生じたとき、ただただその様を観察するのがヴィパッサナー瞑想なんですが、それが「怒ってはいけない」という観念があるために感情を抑圧してしまうんですね。

怒り、怒り、というラベル貼りが、いつのまにか、怒りがあるダメだダメだ、という感じで。それはただの自罰的行為で害悪です。

 

怒ってもいい。でも映画館で映画を鑑賞するように、怒っている自分を眺めるようにしてみる。感情はスクリーンに映っている虚像に過ぎません。私たちは座席でゆったりとそれを眺めていればいいのです。

 

AC傾向の人は普段から感情を抑圧しすぎたり、逆に制御出来なくて完全に巻き込まれたり、あるいはその両方である事が多いと思います。

ACでなくとも日本社会は抑圧的ですし、あまりに強い鬱積があるなら、瞑想の前にいっそのこと発散してしまうのが良いと思います。

勿論他人の迷惑にならないように、クッションを殴ってみたり、お皿を割ってみたり、カラオケで大声出してみたり。

 

自罰行為なんて人生で一番無駄な事ですから、瞑想しない人でも普段から気をつけていた方が良いでしょうね。