別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

捨てることはできない

欲望を捨てろとか、執着するなとか、大体の宗教が同じことを言っています。

勿論このことは間違ってはいないのですが、現実問題として自分から捨てることはほとんど不可能です。

何故なら、捨てようとしても、今度はその「捨てること」に執着してしまうからです。この「捨てること」は少し厄介な面があります。それは、他の欲望に比べて、自分で自覚しにくいからです。

出家者や真面目な信者が、陥りやすい罠だと思います。

 

仏教では「遠離を楽しむ」という表現が出てきますが、これは物理的に距離を置くというより、意識や認識に距離を置くと思ってもらったら良いと思います。

 

例えば、あなたに蟹を食べたいという欲があるとします。この場合、蟹を諦めるのではなく、蟹を貪り食っている自分を、しっかり見ておくのです。

蟹を貪る自分と、それを見ている自分。

貪る自分から距離を置いて、見ている自分に焦点を持ってくる感じでしょうか。

 

するとどうなるかというと、何故蟹を貪っているのか、どうやって欲望という衝動に突き動かされているのか、そのメカニズムがよく分かるようになって来ます。

そうなれば、適度なところで満足し、それ以上欲望を暴走させる事が無くなります。

 

 

ただ見ているだけ、意識的に自覚しているだけで充分です。ヴィパッサナーでは実況中継をすると言いますが、言語化する必要は無いと私は思います。映画を見ながらシーンの全てを実況していたら、肝心の内容が良くわからないことになってしまうでしょう。

 

これを続けていけば、或る日突然変容が起こるかもしれません。そうすれば欲望は勝手に落ちてしまいます。捨てるのではなくて落ちる。そこに自分の意思は介入できません。

まあ、変容を期待すると、これまた問題があるので、ただ淡々とやるのが良いでしょうね。