別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

怒れない人

世の中には何があっても怒らない人がいますが、それが素晴らしい事と言えるかはかなり疑問です。

 

怒らない人のそのほとんどは寛大なわけではなく、単に怒ることもできない腰抜けであるかもしれません。何かを守るため、金、職場、地位、そのほとんどは取るに足らない物ばかり。穏便に済ますことを最上とした人達は、そのくだらない装飾品のため、本当に守らねばならない自分、自尊心を切り売りしてきました。その結果が今の日本です。

こういう人達の何が害悪かというと、自分のみならず他人の自尊心まで奪おうとする事です。ゾンビに噛まれたら感染してしまうみたいに。

私はこの歩く屍のような人達には一刻も早く死んでほしいと思っています。まあ、そうなれば人類は壊滅するでしょうし実際はそういう奴ほど長生きするんですけどね。

 

 

常に怒鳴り散らしているような人間は問題外ですけど、普段寡黙で抑圧されているような人間が時々爆発したように怒る事があります。体は強張って声も震えてはたからみたらさぞかし滑稽でしょうが、それを笑う資格はあなたにはありません。なぜなら自尊心を取り戻そうと戦っている最中だからです。自尊心を自ら切り売りしたノータリンなどには絶対に出来ない事です。

しかし、現実問題としてこういう人は世間から排除されてしまうでしょう。ノータリンの方が奴隷にしやすいですからね。

たとえ社会からはじき出されても、陰で何言われようとも、それでも私は彼らを応援したいと思います。まあ、本当は排除されないようにもっと上手く出来た方が良いんでしょうけどね。

戦えば負ける事もあると思いますが、戦うその行為そのものに意義があると思いましょう。勝った方が気分が良いですが、まずあなたが勝つ事はありません。多勢に無勢ですからね。でも負けてもそんな事は捨て置くことです。怒りを引きずってはいけません。

戦った者にしかわからないやってやったという感覚、欠片でも自尊心を取り戻す事ができた喜びがあるのですから。あなたが完全に自尊心を取り戻す事ができたその時は、もう怒る事も無くなるでしょう。

 

 

ついでに仏教の話をしておきますと、十戒には「怒るな」と書いてありますが、在家用である五戒には書いていないんですよね。周りが出家者だけなら良いですけど、在家でいる限り有象無象とやりあわなければならない事もありますから怒りのエネルギーが必要な時もあると私は思います。ただ、悟りたいなら怒りから離れる事は重要なことでしょうが。

お釈迦様がどういうつもりで「怒らない事」を五戒に入れなかったかは分かりませんけど、確実に言えることは今と昔とでは時代が違いすぎるという事です。お釈迦様の時代では普通にできる事でも現代では難しいという事はたくさんあるでしょうし。

まあ五戒は守りつつ、自覚的に怒りのエネルギーを利用して行けば良いのではないでしょうかね。