別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

呪い

兄はしょっちゅう父親に殴られてましたけど、私はしょっちゅう母親のゴミ箱にされていました。

いかに自分が酷い事をされてきたか、辛い目にあったか、という恨みつらみを、微に入り細に入り聞かされてきました。子供が親を慰めてあやして、ってもしや今流行りのアダルトチルドレンという奴かな?

 

生まれてこのかた、年がら年中そんな調子で精神的に不安定にならないほうがおかしいでしょ^^;

 

それなのに、お前は変だの、おかしいだの人間じゃないだのと言われて、よく死ななかったもんです。結局、親は自分がされた酷い事と同じことを子供にしていたわけですな。そのくせ、自分は親とは違って理解あるいい親だと思っているんだから、救いようがありません。

 

 

秋葉原の通り魔事件というものがありましたが、あれはありえたかもしれない私の未来です。まあ、犯人は最低最悪のクソッタレに違いありませんけど、彼にとってはあれが唯一の逃げ道だったのかもしれません。

 

よく、追い詰められて自殺するといいますが、自殺っていうのもある意味逃げ道の一つなんだと思います。だって、それで本人はつかの間とはいえ救われているわけですから。発狂した通り魔犯人も同じです。今まで溜め込んだ鬱憤を開放できてさぞかしスッキリした事でしょう。ああ、うらやましい。

 

私には逃げ道がありませんでした。自殺してもなにも終わらない(輪廻する)し、発狂したところでその責任を刈り取る日が来るのだと思うと発狂する事すら出来なくなりました。幸か不幸か悟りの端っこを垣間見れたのでこうして生きていますけど、ほとんど偶然でしかないわけです。

 『ワンチャンあるよ!ただしそこへ至るまでは地獄だけど』って感じでしょうかね。

 

 

まあ、親の仕打ちに関しては、私がその報いを受けるにふさわしかったという事です。そして、親もまた自分の行いの報いを受ける日がやってくるのだろうなと思うと、今はただ哀れでなりません。