別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

死んでもいいけど・・・

そういえばブログの名前に言及していませんでしたね。

 

私にとって何が一番辛いかというと、「死んでも終わらない」ってことなんです。

死んだらまた生まれなきゃいけないし、しかも今度はどういう生まれになるか分からない。今よりもっと悪い状況かもしれないし、仏教とは全く縁のない世界かもしれない。そうすると悟る可能性もなくなってしまう。

そういうことが怖くて今も生きています。まさに死んでないから生きている状態。夢も希望もありません。

でもいいんじゃないですか?70億の人間が夢や希望に向かって走っていたら気持ち悪いじゃないですか。だいたい夢ってなんですか?それを達成したら今度こそ夢もなく生きていいんですか?でもそうじゃないんでしょう?

 

夢や希望って言っている大半は強迫観念なんですよね。人は本当に退屈すると死んでしまいたくなるので、死なないように何か行動しなきゃいけないという衝動があるんです。ためしに1週間ぐらい何もせずに過ごしてみると分かると思います。死にたくなります。存在に対する根本的な疑問が沸き起こってくると思います。でもそれじゃ自我は困ってしまうんですね。だから衝動っていうのは自我が自分を守る安全装置みたいなものです。

あとは、欲望を滾らせてくれないと困る人たちがいるんですね、この資本主義社会には。大変迷惑です。

別に夢がなくたって人の役に立つ事はできると思いますけどね。

 

 

まぁ、そんなわけで、死んでもいいけどその結果は受け入れる覚悟が必要だということと、せめて死ぬときは穏やかに清らかな心で死ぬようにしてください。うらみつらみで死んで地獄行きとか嫌ですからね。

いきなり穏やかにといっても難しいので、カンダタじゃありませんけど、最後に何か善行をしてそれを思い出しながら死ぬのがよろしいかと思います。是非お試しください。

 

 

 

そういえば私が子供のころは人口は60億っていっていました。親が子供のころは50億だったそうなので、驚くべき人口爆発ですな。