別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

体験談

私の“体験”を書いておきますが、正直なところこれが何なのかは分かりません。ただの妄想の可能性は十分にあります。

自分で影響されやすい性質だと思う方は、こういう話はお読みにならないほうが良いかも知れません。同じことが他の人に起こるとは限りませんし、恋焦がれるあまり妄想や幻覚をそれと思い込むこともあり得ます。

結局のところ自灯明・法灯明なのだと思います。そのことを念頭において、お読みくだされば幸いです。

 

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子供の頃から世の中の全てに納得がいかなくて、でも何が答えなのかも分からなくて、歳をとるごとに苦しみは増すばかりでした。今までも何度も死にたいと思ったことはありましたが、その日はもう本当に死んでしまおうと心の底から思いました。いくらヴィパッサナー瞑想したって、いっこうに悟ることもないし、かといってそれを捨てて俗世で成り上がる事も、私には難しい事でした。

だらしないし情けないし、生きているだけで迷惑がかかるし、こんな私はもう死んで地獄にでも落ちたほうが良いだろうと。完全な負け組です。しかし同時に悟らずに死ねるか、という思いもあったことは本当です。

今度こそ絶対に死ぬと決意し、決行日は1週間後としましたが、死に方は決めていませんでした。窓から飛び降りればいいか、というような具合です。

 

さて、それからの1週間、私はとことん自分を哀れんでやる事にしました。

それまで、泣いたり自殺する事は弱い人間のすることだと教えられてきたし、私自身もそう思っていました。強い人間にならなければいけないし、人に頼るのは良くない事だといい聞かされてきました。そして何もかも私が悪いのだと責められました。

しかし、私は私なりに一生懸命やってきたつもりです。まあ、あくまで”つもり”でしかなかったのでしょうね。

そう、私は誰が見ても立派なクソ野郎です。

自意識過剰で自己中で、当然誰にも大切にされない私でしたが、最期ぐらいはせめて悲劇のヒロインのように、自分を精一杯哀れんでやろうと思ったのです。

 

実はこの2か月ほど前、OSHOというその界隈では有名な方の本を読んだのですが、その中に「悲しみに深く入っていきなさい」というような事が書かれていました。折角なのでこれをやってみようと思い、そうして家にこもって泣き続けました。

別にわざわざこれを実践してやろうという気持ちはありませんでした。殆ノイローゼ状態だった私は、会社も無断欠勤するようなありさまでしたので、それ以外には出来なかっただけです。

 

「どうして私ばかりこんな目にあうのか」「どうして私は報われないのか」「私はなんて可哀想なんだろう」「私は・・・私は・・・」

一週間経ち、とうとう自殺決行日の前夜、もはや泣く事にも疲れてきましたが、明日には死ねるんだと思うと、残念ではあるけどしかしどこかホッとする気持ちもありました。

そして、せめて最後の最後まで泣いてやろうとベッドに横になった時、不意にどこからともなく質問が湧いて来ました。

 

「私とは何だ?」

 

その瞬間、実際にはどれくらいの時間かは分かりませんが、空白のようなものがありました。(この例えは適切ではないかもしれませんが、説明できませんので悪しからず。)

そして私は大爆笑しました。

そのときは自分が何故笑っているのか分からないのですが、とにかく可笑しくて可笑しくて、一晩中笑い転げていました。

 

朝がきましたが、自殺するのは止めました。

 

 

以上が私の“体験”です。

 

 

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以下は、ぼちぼち思ったことや体に現れた事などを書いておきます。

自分でもよく分からないので適当なこと言っています。鵜呑みにしないように。

妄想妄想。 

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●「私とは何だ?」この問いは私自身がしたものではありません。じゃあ誰なんだという話ですけど。

●私の何かが死んでしまって、それはほんの一部でしかないけど、二度と蘇らないのだということは分かります。

●部屋の様子は、かろうじてエアコンのランプがついているぐらいの暗さでしたが、その時は真昼間のように明るかったことを覚えています。まあ所詮記憶なので改竄されているかもしれません。

●頭から何かがポンと抜けたような感じがしました。ヨガとかに答えがありそうだけど、やっぱりよく分かりません。

●その頭頂あたりには濡れたような感覚があります。

●いつも鳩尾がカチカチだったんですけど、それ以来ずっとやわらかいです。鳩尾に関しては野口整体に話があったと思いますが、エネルギーのつっかえが取れたのかもしれません。

● 頭のコリも解消されていましたが、こちらは鳩尾と違い今ではコリが復活しています。多分目の使いすぎです。

●この体験のあと2~3か月ほどふわふわしていました。ほんとうに浮いていたと思います。何度か足が地面についているか確認しました。

●↑の状態は本当にとにかく楽でしたが、これに浸っているとシッタカブッタで言うところの「戻ってこられないブタ」になるんだろうな~、と思ったあたりで今までと変わらない日常に戻って来ました。

●今でも怒りや不安、悲しみなどの感情はあります。しかし、それにしがみつくのは難しいと感じます。昔は末代まで祟る勢いでしたが、過去の出来事を思い出しても何か本を読んでいるような感じです。読んでいる間は感情移入するけど、本を閉じると薄れたり忘れてしまうような。

 

 

まあそんな感じで今に至ります。

 

 

 

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今から振り返ってみると、生活は何にも変わりません。私は相変わらず負け組ですし、生きる事は大変です。

それにまだまだ俗世に未練があります。覚悟が足りないようです。中途半端ですな。

もちろん仏陀の境地にまで達すれば違うのでしょう。私は出来損ないというか失敗したのかもしれないし、この体験自体が妄想かもしれませんけど。

まあ、それでも楽であることは確かなんです。だからもう妄想でもいいです。

 

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ちなみにOSHOについて、この頃は人物評について全く知りませんでした。後から色々な騒動の事を知りましたが、そういう色眼鏡で見ないならばOSHOの本は役に立つと思います。まだ知らないなら検索するのは止めておきましょう。

私が読んだ本はタントラシリーズの内の2冊ほどです。沢山方法が載っているので、どれか一つぐらい自分にあったものがあるだろうという希望がありますね。

この体験をするまでに出会ったものは、ブッタとシッタカブッタ、テーラワーダ協会、そしてOSHOの本です。その他沢山の自己啓発本も読みましたが、根本的な問題に対しては無力だと思います。

OSHO以外の覚者と思われる方々の本は、この後に読みました。分かる部分もあれば、分からない部分もあります。まあ、まだまだ修行が足りないんでしょう。

本以外ではネットでブログを読み漁ったりしましたが、こちらは真理の探求目的というよりは、同じように苦しんでいる人がいるんだな~自分もガンバロ~、というぐらいに使ったら良いんじゃないでしょうかね。運良くそれらしい物に出会えれば良いですけど玉石混交ですからね。まあ私もその混乱に一役買っているわけですが……

 

本当は素直に師匠を探すのがいいと思います。師匠が悟っているかどうかはあんまり関係なくて、あなたが心から信頼でき、あなたが苦しみのどん底でのた打ち回っていても、投げ出さず最後まで面倒を見てくれる人を選ぶと良いと思います。

私には縁がなかったので一人でやらざるを得ませんでしたが、正直なところ大変だと思います。ただでさえ俗世は危険なのに何のサポートも無いわけですからね。

まあ、縁が無いなら覚悟を決めるしかありませんけど。

 

 

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ここまで書いておいて何ですが、仏教とか悟りとか、そういうのは今すぐ必要な人以外は必要ないと思います。

普通に生まれて、普通に金を稼いで、普通に家族と暮らして、普通に歳をとって。そういう人達は段々と欲も薄れてくるし、力みもなくなって、自然と仏教的な生活になっていくように思います。まあ現代のご老人方を見ているとそうとも言えないのですけど。

あんまり若いときに仏教なんかに出会ってしまうと、逆に苦しみが増したりするんじゃないでしょうか。ただアーチャン・チャーというお坊さんの言うように「苦しみを終わらせるための苦しみ」である可能性はありますが、その苦しみは日常的な苦しみより苦しいでしょうね。

まあ、あなたはあなたのやるべきことをやって、やるべきことがないなら仏教なり坐禅をやる、それぐらいの気持ちで大丈夫ではないでしょうか。

 

 

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余談ですが、会社はクビになりませんでした(笑

当然怒られましたが。

いやまあ、社会人としては最低なことは分かっていますが、正直なところまったく余裕がなかったんです。すぐにでも自殺したいくらいだったのを、悟りたい一心で1週間延期しただけですし。屁理屈ですけど、すぐ死んでいたら無断欠勤にはならなかったわけですしね。

 

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と、まあそんな感じです。

ところで何故「自分の体験」を書いたかというと、この体験を手放そうと思ったからです。口に出しても良いけど、書く事でも感情を整理したり手放す事に役立つと思います。

だから「そんなこともあるんだふ~ん」ぐらいに思って、あなたもさっさと忘れてください。

 

 

それでは。