別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

悟りを開いて、生き生きと?

仏教では預流果の要件は三結が切れる事とされています。三結とは「有身見・疑・戒禁取」の三つの煩悩です。あとは三宝に帰依していることや、五戒を破らないこと等があります。

預流果になったら俗世間で生き生き生きていけますよ、何てことは一言も言っていません。

 

そもそも預流果になると、真理と世間の常識は完全に正反対なのだという事が理解できます。そして預流果はもはや真理に背いて生きる事はしませんから、世間で生きる事は逆に辛くなるのではないでしょうか。真理を実践しながら社会に反しない事は、昔の素朴な生活ならいざ知らず、現代では極めて困難だと思います。

勿論生きていく場所を選べば可能ですが、そうすると精神的には楽に成りますが物質的には困窮するかもしれませんね。

 

そもそも、自分らしく生き生きと、なんて言いますが、その確固たる自分何てものは存在しない事を悟ったのが預流果なのに、どうやって自分を生きる事ができるのでしょうか。

 

こういった事を言う人が、本当に預流果なのか、単なる悟りへの憧れでホラを吹いているだけなのか、それとも悟りへ向かわせようとぶら下げたニンジンなのか、見分けが付かないのが困りますね。

 

悟れば楽になる事は間違いないでしょうが、それが世間で生きる事とイコールではない事は、きちんと踏まえておく必要があると思います。むしろ世間からしたら頭のおかしい人扱いされると私は思いますがね。