別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

(ひとりごと)悟りと自己中

今日、久しぶりに母に会いました。今まで絶対嫌だと思っていたけど、今回は顔を見るくらいは良いかという気持ちでした。特に何か心境に変化を起こす出来事があったわけではないけど、まあそんな日もあるかという感じで。嫌な気分になってもその時はその時です。

 

話をしたのは1時間くらいだったので、まあ何事もなく、近況を報告したくらいで終わりました。

それより、珍しいことにお小遣いをくれました。この歳でアレですが、有難く貰っておきました。私よりむしろ母に何か心境の変化があったのかもしれません。

 

それで思い出したんですが、悟りを開いた人へお布施すると、すごい功徳があるという話を聞いて、私が悟れば私のお世話している人は凄く幸せになれるんじゃないか、と考えていた事を。

まあ短絡的ですけど、特に両親は私の世話をしない訳にはいかないんだから、と子供ながらに思ったのでしょうね。みんな私にお布施して幸せになれば良いじゃん!って。

悟った人を探してお布施するより、自分が悟る方が難易度が高いと思うんですがね。そのせいでお前めっちゃ苦しむんだぞって子供の私に言ってやりたい(^^;;

 

でも、仏教って究極の自己中みたいなところがありますからね。私は幸せでいたいから、あなたもどうぞ幸せになって下さい、っていう感じで。

例えば、飢えた人の前でたらふく食べていたら、きっと襲われてしまうだろうから、食べ物を分け与えて相手もお腹いっぱいにすることで、自分もゆっくり食事ができるようになると言いますか。例えるの難しいですけど、何となくわかってもらえるでしょうか。

 

世間でいう自己中というのは、自分さえよければ幸せになれるという、勘違いから起こるのかもしれません。誰かから奪ったとして、一時は幸せになったような気になりますけど、今度は自分が奪われる恐怖を抱く事になります。それって幸せなのでしょうかね。

本当に幸せになりたかったら、もっと徹底的に自己中を極めれば良いんじゃないかと思います。