別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

悟りが不退転の理由

最低でも預流果になると、いずれ阿羅漢に達する事が決定されているといいますが、それは何故なのか。なんで?と思っても、経典に書いてあるから、という理由しか見当たらないのでちょっとだけ考えてみました。

 

私が思うに、自転車と同じではないかと。

自転車に一度でも乗れてしまうと、もう乗れなかったときの事を思い出すことができませんよね。わざと乗れない風に装ってみてもやはり本当に乗れない時とは違います。

あるいは歩くということでも言えるかも知れません。よく認知症の徘徊が問題になりますが、どれほどボケても歩くことを忘れたりはしないのです。物理的に歩けなくなることはあるでしょうが。

 

まあそんな感じで、一度でも無我を体験してしまうと二度と凡人には戻れないのだろうと思いました。