別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

瞑想で楽になる

なんてことはない。

 

前提として、ここでいう瞑想は観瞑想、ヴィパッサナーとかマインドフルネスを指します。

観瞑想というのは基本的にあらゆる事象を片っ端から見ていくことになります。

 

本当に瞑想していたら、どこにも真実がない、ということが分かってきます。この世には何一つすがれる物がない、頼りにならない、全部嘘っぱちである。

これを聞いてどんな気持ちになります?すごく嫌じゃないですか?

瞑想する者は確かな実感をもって、この事実を知る事になります。するとどんどんどんどん苦みが増すのです。今までの自分というものが、根底から覆されてしまいますから。自我は自分が苦しむことで、瞑想を止めさせようと必死です。

苦しんで苦しんで、それでも瞑想を続けて行く。もうその時点では瞑想をやめようと思っても止められない、目が離せないような状態になっていく。

それでどうなるかというと、苦しさに絶えられなくて死んでしまうんですね。無論肉体が死ぬわけではありませんけど。

 

ゴムを強く引っ張れば引っ張るほど、手を離したときに元の位置を飛び越えて、反対側まで行ってしまいますよね。

瞑想っていうのは、苦しみを極限まで引っ張る道具なんです。苦しみを反動として利用するという事です。

だから瞑想して楽になったと感じたなら、その瞑想は(悟りに関しては)失敗だということです。

 

まあ、世の中には苦しまずとも悟れる人がいるみたいなので、必ずしも苦しむ必要はないかもしれませんが。あくまで一例です。

 

 

瞑想が楽になるのは、最低でも預流果になってからじゃないかな、と思います。