別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

中学のころを思い出すに、私は臆病なところがありつつも、結構自分に正直に生きていたように思う。もちろん子供特有の無責任さもあっただろうが、まだ余裕があったのだ。

じゃあいつから余裕がなくなったかというと、中学の終わりに両親が離婚してからだ。

ちなみに、親は私に離婚すべきかどうかを聞いてきた。私はすべきと答えた。高校受験の一週間前だった。ホントふざけてる。

 

私はずっと家庭不和の原因は父親だと思っていたが、それは間違いで、実は母親がそう仕向けていた、ということを離婚後、母と暮らすようになってから思い知った。

私にとってはクソッタレの父親こそが、安心の正体だったのである。もちろん母は被害者気取りである。

 

父と私、二人だけのとき、父はとても落ち着いていた。まあ子供にどう接していいか分からないような、不器用さはあったものの、理系らしく知識も旺盛で、電化製品の仕組みなんかを教えてくれるのは、とても楽しかった。

しかし、多くのDV家庭がそうであるように、結局は共依存なのだ。母と暮らすようになって、何が父をいらだたせるのかよくわかる様になった。

母には悲惨な生い立ちの所為で、自分がどう思っているかを表現できないところがあった。考えてもわからないのではなく、考える事そのものを放棄しているのである。何を聞いても「難しくてわからない」と言うのだ。ただ好きか嫌いか、気に入るのか気に入らないのか、そんな単純なことを聞いているだけなのに。

そのことが、父と私には耐えられなかったのだ。

 

まあ父にももちろん問題はあったが、私にとっては逃げ場であったことも間違いなかったのだ。しかし、母と暮らすようになって、逃げ場がなくなった。母のゆがみを一人で受け止める事になってから、私はより一層おかしくなっていった様に思う。

 

というか兄も一緒に暮らしていたはずなんだが、兄は両親の離婚のときにも、心底驚いていた(あんなに殴られてたのに信じられない!)くらいなので、まったく宛にならんのである。

まあ母の呪縛から離れた今となっては、兄も健康な精神を取り戻したみたいなので、母の事は兄にまかせておこうと思う。

 

 

 余談だが、離婚後しばらくしてから母は「離婚したくなんてなかった、あんたが言うからした」と言った。今ならビンタの一発でもかましてやるだろうが、当時は申し訳なさでいっぱいだった。洗脳とは恐ろしいものである。

というわけで、皆様も被害者面した加害者にはご注意ください。