別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

カルマ的100%自己責任論とカルマの解消

論、と題うっては見たものの、カルマについては考えるだけ無駄とお釈迦様もおっしゃっているので、言うほどの事もないとは思うんですけど、でもカルマというものを考えるとやっぱり100%自己責任であるということになるなぁという事をちょっと書いてみたいと思います。

 

カルマについて詳しくは御自身で調べていただくとして、もともとの意味は「行為」です。そして「行為」が「原因」となり「結果」が現れます。

さて、そもそもの原因となる行為とはなんぞや、という話なんですが、これは「全て」なんですね。自分の全ての行為が原因となって結果がでるのを待っている。

全ての行為って、今日は困っている人を助けました、昨日は嘘をつきました、とかそういう主に記憶に残るような行為だけではなくて文字通り全てです。大雑把に言えば、息を吸ったら吐いて吐いたら吸って、右足を出して左足を出したら前に進む、とかそういうのもカルマです。あと身体的行為だけじゃなくて思考することも行為です。

重要なのは生きている限り行為をしないことは無いということなんですね。

 

そうすると必然的に目の前に現れた結果には、すべて過去の自分の行為があることになります。今生だけじゃなくて、前世のそのまた前世の・・・なんてこともあるかもしれません。

もちろん結果が現れる為には条件がそろわないといけないので、今生では結果をだせないカルマも当然あります。(ちなみに仏教が善行や戒律を推奨するのは、悪いカルマの条件がなるべくそろわないようにするため、という意味もあると思います)

 

まあそのように考えると、100%自己責任だし、カルマの解消なんて到底不可能だなぁと思うのです。これは腑抜けの私には非常に厳しい考えなんですけど、致し方ない。

 

カルマの解消をうたっているセラピスト達は、もし誰かに殺されるというカルマがあったとして、どうやって解消するつもりなんでしょうか。

いっぺん死んでみる?(地獄少女風に)