別に死んでもいいんじゃない?

そもそも、何で生きてるの?

スピ的説教は無意味

あまたいるスピリチュアルティーチャーはこういいます。

「あるがまま」「今を生きましょう」

 

あるがまま、とか、今を生きる、とかそれ自体は問題ないし本当はそうするよう努めるのが良いと思いますが、それを凡夫に言ったところで毒にも薬にもならないんですよね。何を持って「あるがまま」っていうんでしょうか。あなたにはわかりますか?

 

悟りといっても色々段階があって仏教では、預流果(よるか)、一来果(いちらいか)、不還果(ふげんか)、阿羅漢果(あらかんか)の四つの段階があるといいます。悟りにさえ段階があるのに、真理を垣間見た事もない凡夫に「今ここ」とか言ったところで、理解できるはずがないのです。

時にはそれで理解できる人も居るでしょうが、そういう人は過去に散々探求してきた人とか、特別に欲が少ない人とかであって、理解できない人には実際に体験できるような手段が必要なのです。

 

覚者の真似をしてみるという点では、ありなのかもしれませんが、現代人が社会生活を送りながらするにはかなり難しい。普通に社会不適合者になります。

どうせ社会不適合者になるなら、一か八か極端まで突っ走ってそこから飛び降りたほうが余程悟れる可能性があるのではないでしょうか。まあ何の保証も出来ませんが。

 

 

仏教は基本的には相手に合わせて説教をするのですが、残念ながら、仏典にはそういう分類はありません。凡夫向けの説教、預流果向けの説教というのがあると思うのですが。

しかし、どの段階にいてもやることは同じ(瞑想と内観)だから、そういう分類は省いたのかもしれませんね。